いつもボクは恐怖と不安に悩まされて生活をしています。
このブログを始めたのは2月なのだけれど、本格的に更新頻度を上げたのは、6月から。
そして、アクセス数も今のところ順調に伸びていっているので、客観的には悲観する必要はないとおもう。
けれど、ボクは一応ニートで、このブログで生計を立てている。
生計が立てられるほどまだ稼げてはいないのであるが、今後生計を持続させていくつもりでやっているのである。
こういった事をしていると多くの人が思うであろうことが、それがずっと持続するわけではないという考え方である。
会社員の方が安定している。
会社員はリスクが少ない
会社員は毎月決まったお金が必ず貰える。
そういった考えを幼い頃から植え付けられてきたボクは、それは違うということをわかっていながら、いま現状の脆く険しい道に不安を感じてしまうのである。
実際、今後世の中は、今以上に楽に、楽しく、平和になるはずであり、働くという需要が減る一方である。
そのため、今あえて一生懸命に神経と体調をすり減らして、働く事のほうがボクにとってリスクが大きいということも理解している。
ただし、それが確定的に実感できる事実でもなければ、保証もない。
そして、その現実を忘れられるほど熱中できている遊びも無い。
一応このブログは遊びであり、仕事であるため、書いていて辛いという感情はないのであるが、いつまでもキーボードを打つのをやめられないという程でもない。
実際、合間合間にゲーム(Dota2)をやってしまう。
そうやって、現状のダメなところや、躓いてしまっているところを洗いざらい考えてしまい、何をすべきかがわからなくなって、足が止まってしまっていたのです。
いま現状を闇雲に進むよりも、より効率的で正しい方法があるのではないか!?そう思って、考えるのであるが、いい方法は見つからない。
具体的に、今このブログはそこそこのアクセスを集めているのではあるが、それはインターネット上ではみじんこほど小さく、誰からか羨ましがられるレベルではない。
ボクはこの現状をどうにか、誰かから尊敬されるようなくらいのアクセス数を増やしたいと考えているのである。
現状のやり方をただ黙々とやり続けて良いのだろうか。
それとも、さらなる工夫と加えるべきなのだろうか。
そういった考えの渦に巻き込まれてしまい、ボクの手はいつもとまってしまうのである。
デール・カーネギー「道は開ける」でこのようなエピソードがあった気がする。
「3日考え、調べ続ければ、どんな問題も解決できる」
ただし、凡人のボクにはそんなことは無理である。
3日というとてつもなく長い時間を考え続ける、調べ続けると言うのは並大抵の努力では成し遂げられない。
2時間調べてゲームをしてしまうのが落ちである。
そして、ここでボクは一つの解を出そうと思う。
目標がないとボクは行動できず、目標がないとボクは立ち止まってしまう。
でも、目標って書くとなんだか、達成しなくてもいい気持ちになってしまうから、目的にする。
なので、現実的でリスクの少ない目的を出そうと思う。
- アクセス数が極端に落ちないかぎりは、今の現状をひたすらやり続ける。
- 中華タブレットのレビューもするし、中華ガジェットの紹介もする
- Amazonで提供してもらった商品もたくさんする。
- とにかく記事の品質を考えすぎないでとにかく記事をたくさん書く!
クォリティにこだわってしまうと、鬱になってしまうし、とてもつらくなってしまう。
だから、あまりそこにはこだわらないことにする!
じゃないとボクが死んじゃう!
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